にちにち日記

好きな植物はニチニチソウ。日々是好日ということで。

半クラの話

 

 

 

ある女性が、自動車教習所に通っていました。

女性では珍しく、マニュアル車の免許を受講していました。

彼女は苦戦しながらも、技能試験と校内の実技試験に合格し、仮免許を取得しました。

 

そして、晴れて路上教習に臨む事となったのです。

 

彼女は緊張していました。

マニュアル車は、常にエンスト(エンジンがストップすること)の恐怖に晒されます。

校内では、何度なくエンストし、坂道発進なんて考えただけで冷や汗が出ます。そんな不安が頭から離れないまま、初の路上教習は始まったのです。

 

ブレーキを踏みながらキーを回してエンジンをかける。

サイドブレーキを引いて、クラッチを踏み、シフトをローに入れて、アクセルペダルを徐々に踏み込む、、、、

「手順通りにすれば大丈夫。」

自分に言い聞かせます。

慎重に進み出した車は、信号のある大きな交差点に差し掛かります。

教習のルートではここを右折しなければなりません。

対向車が通り過ぎるタイミングを測りながら躊躇することなく曲がりきらなければならない交差点右折は、まさに最初にして最大の難所です。

信号が赤になり、一時停車。

ゴクリ、嫌な予感がよぎり心臓が早くなります。

「慎重に臨めば大丈夫。」

彼女は呟きます。

信号が青になり、進み出す教習車。

対向車が通り過ぎるのを待ち、勢いよく右折!

と、その時です。

どっ、どっ、どっ、ど、、

ぱすんん、、

 

あろうことか交差点の真ん中でエンストしてしまったのです。

パニックに陥っている彼女を落ち着かせるように、教官が冷静に指示を出します。

「まず、エンジンを切って、もう一度エンジンを掛け直そう。」

「エンジンを切って、、掛け直す、、、」 

震える声で復唱します。

「そうしたら、ギアをローに入れ直して、半クラ(半分クラッチを踏む)でスタートだよ。」

 

「ギアをローに入れて、半クラ、、っと」

その時です。 

 

「ップ」

 

なんとテンパった彼女は、

半分くらいの力でクラクションを鳴らした(半クラ!)のでした。

 

あなたならどうでしょう?

交差点の真ん中で停車する教習車から、すごく控えめなクラクションが聞こえきたその光景から、このとんでもない勘違いを察することは出来ますか?

この日常に潜む奇跡の物語を。

 

 

中学生の頃、野球部だった私が顧問の先生に釣りに連れて行ってもらった時のお話。

 

それは、中学3年の夏でした。

顧問の先生に釣りに行こうと誘われました。

当時30歳前半のアクティブで優しい先生でした。

後輩もひとり連れて3人で出かけることになったのです。

 

まだ日が昇らない早朝から出発し、2時間程かけて、海に着きました。そこは山並みが近くに見える港で、船が何隻か停まっています。

すっかり3人での釣りと思い込んでいたのですが、現地には2人の男性が待っていました。

50~60代に見える男性は、なんと他校の教頭先生と校長先生でした。

少々面食らったのですが、そこは中学生の子供です。自然に囲まれたロケーションにすっかりテンションが上がっており、偉い大人がいようが関係ありません。

港から船に乗り程なく、釣り用の大きなイカダに到着しました。このイカダが今回の釣り場です。

早速釣りを開始します。餌は、ぬか床みたいなものを手でぎゅっと固めた泥団子みたいなものを針につけたものです。

 

釣果は良好で何匹か順調に釣り上げます。

大人たちの狙いの魚は何だったかわかりませんが、子供の僕たちにとっては、釣れればなんでも嬉しかったのです。

 

海に浮かぶイカダですが、そこから近くに山が見えます。

陸地が近いので、トンビが数羽飛んでいるのが目につきました。

その時です。

海にぷかぷか浮かぶ弱った魚をめがけて、トンビが勢い良く羽ばたきました。

見事に魚を捉え、宙に舞いました。

 

おぉ!

それは中学生の僕たちにとって、刺激的な光景でした。

 

顧問の先生は理科を教えていました。生物の課外授業が始まります。

「ここにいらない魚がある。トンビは視力が良いから、良く見せつけて思い切り投げれば、さっきみたいに食べに来るかもしれない」

 

勢い良く投げる。ここは野球部、宙を舞う魚。

 

実験は成功でした。トンビはすかさず反応し見事にキャッチしたのです。

 

うおお!

この光景は中学生にとって麻薬的効力がありました。

宙を舞う魚。そして、羽ばたくトンビ。

何投かして、そうこうしていると、魚が尽きてしまいました。

しかし、この快感はまだ味わい足りません。

 

何か投げるものはないものか。

しばらく考えると、思いつきました。

そういえば、餌の団子があるじゃないかと。

これなら、大きさも形も自在です。

ちょうど、野球ボールくらいにして、ぎゅーっと固めて、完成!

これなら、大遠投できるし、もっとエキサイティングな瞬間が見られそうです。

投げるのは後輩です。ピッチャーをしているので肩には自信があります。

イカダの足場は良好です。

いざ、思い切って、

投げた!!

 

球が手から離れ、45度の角度で放たれたその刹那。

ふぁさ

 

脆くも崩れ去る、団子。

トンビからしてみれば、一瞬で消え去る餌。さながらイリュージョン。

僕たちの挑戦は失敗か。

 

いやしかし、奇跡は起きたのです。

無情にも空中分解した団子は、トンビに届くことはありませんでした。

ただ、その時風はこちら向きに吹いていました。

つまり、向かい風です。

粉々になった団子は風に乗り、こちらに向かってきます。

 

おらぁ!!

 

声の主は、校長先生でした。

 

隣で釣りをしていた、校長先生にその全てが、降り注いだのです。

頭から、魚の餌をかぶった校長先生です。

これは普段ではお目にかかれない、課外授業ならではの状況!と、興奮している横で、

 課外授業気取りだった先生は、すでに土下座の態勢になっています。

 

静まり返った船上。あの盛り上がりはどこへ行ったのでしょうか。

 

文字通り校長先生の顔に泥を塗ってしまった僕たちは、逃げ場のないイカダの上で、ただ波の音を聞いて過ごします。

 

ひゅーひょろろーー

 

すっかり満腹になったトンビたちは、高みの見物でもしていたかのように僕たちの頭上を舞うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

桃のソースから学ぶ、人生の哲学の様な話

それは、以前勤めていた飲食店でのことです。

 

その日は1日中忙しく、営業後ひとり残業して仕込みをしていました。

桃の季節でしたので、デザート用の桃のソースを作っていました。

上手に出来て、粗熱を取るためにタッパーへ移し、蓋をせずに置いていました。

洗い物をしようと流しへ行くと、シンクの脇に親指程の蛾が止まっているの見つけました。

蛾だ。と思いました。

夜中にひとり残業をしていると、気力はほぼゼロになっていますし、心にゆとりはありません。そんなわけで、躊躇なく殺虫剤を浴びせたのです。ひどい話です。

思えばこれが悪夢の始まりでした。

 

蛾はよろよろと飛び立ちました。コロリとはいかずとも、そのダメージは相当なものと推測できるよろめきようでした。

しかし、私は不覚にもふらふらと舞う蛾を見失ってしまったのです。物の多い厨房では、探すのは困難。目を皿にして探索するも虚しく、逃げ切られてしまいました。

 

仕方がないので、洗い物を済まし、桃のソースをしまって帰ろうと思いました。

私は、桃のソースのその白い見た目とジューシーな桃の香りが好きでした。

出来たばかりのソース、一口味見したい衝動に狩られます。この胸騒ぎ。誰か止めてくれ。

そして目をやったその先にあるそれを見つめ、さらに動悸が早くなったのです。

 

そこにいたのは、蛾でした。

純白の桃のソースの中に、蛾が浸かっていたのです。

羽をバタつかせ、まさに虫の息の様相です。

鱗粉がソースの白を汚します。

その蛾は先程逃がした蛾で、間違いありません。

 

一寸の虫にも五分の魂という言葉があります。

昔の人は、どうやらこの光景を目にして、この言葉を思いついたに違いない。

一矢報いたとはこのことです。

クロスカウンターをまともに食らったとも言えるでしょう。

死んでもせめて相打ちに・・・という言葉が聞こえて来るようです。

 

私が、好きな桃のソースは、蛾と心中し私のもとから去っていきました。

試合に勝って、勝負に負けたそんな虚無感を噛み締めます。

涙を拭い、仕込みに戻ります。

あの時こうしていれば、

そんな無意味な後悔が頭をよぎる深夜1時過ぎのお話。

 

 

後日、

帰宅して外に干していた洗濯物を取り入れていた時です。洗濯ばさみがたくさんついた物干しから、勢いよく一斉に洗濯物を外します。外すというか引きちぎる様に。男性ってずぼらです(女性もこの外し方しますか?)

夕暮れ時の逆光で、目があまり見えなかったのですが、全て外したはずの洗濯ばさみに生地の切れ端が残っていました。

やべぇちぎってもうた。と思いました。

恐る恐る手にとり確認しました。

それは、蛾でした。

強烈にあの時の記憶がフラッシュバックします。

姿形は同じです。まさか、、

いやしかし、桃のスープと心中した現場にいたのは私です。ゴミ袋にダンクし口を硬く結んだのも私。あの時の憎悪は尋常ではなくそこに油断や隙はなかったはず。

だとすると、こいつ、不死身か?

 

私はもう冷静な判断は出来ませんでした。

この恐怖から早く解き放たれたい。その一心で、手中の蛾を思い切り投げ捨てました。

夕日に舞うそのシルエットは、さながら赤く燃える不死鳥の様に私には見えたのでした。

 

私はまだ悪夢の中にいる。そしてそれは、決して覚めることはない。

 

 

コンビニで見た収入印紙の購入方法

コンビニで目撃した考えさせられる話

 

 

仕事終わりに、ジュースでも買おうかとコンビニに寄った時のことです。

少しレジが混んでいて、前に4、5人並んでいました。

混んでいる時は早い方のレジを探すわけですが、

名札にチーフと書いてあったので、仕事ができそうな気がして、化粧濃いめのおばさんの方のレジに並んだのです。

順番が近づいてきて、残りは1人のところでこの出来事は起きたのです。

 

目の前のお客さんは、綺麗な装いをした女性でした。

察するに、夜のお仕事をされている方でしょう。夜の蝶とでも言いましょうか、煌びやかな方でした。

購入されていたのは、おそらく収入印紙です。領収証に貼る切手のような物ですね。

仕事柄でしょうか、それを大量に購入していました。20枚ほどあったように見えました。

私は、少し特殊な買い物だったので気になり、購入の様子を眺めてしまったのです。

店員さんもスムーズにレジを打っているようです。さすがチーフです。変わった注文もなんのそのと言わんばかりです。

そして、袋に入れて手渡すのですが、ここで私は違和感を覚えました。

 

その袋は、大量の収入印紙を入れるには適当のようにも見えますし、テキトーのようにも見えました。

チーフは、おもむろに紙の袋に収入印紙を入れました。

それは、ファ◯チキのそれでした。

 

収入印紙といえば、封筒のような紙袋にいれてあるイメージがあります。

形状でいえば、ファ◯チキのそれは、調度良いように思えます。

 

しかしながらです。

ファ◯チキのそれには、

キリトリ線が存在します。

そして、ココから開けてくださいという説明まで書いてあります。

 

賢明な方は既に想像しているかもしれませんが、

キリトリ線から開いた場合、収入印紙はどうなるのか。

飛び散ります。ほぼ間違いなく。

 

堂々とそれを手渡すチーフに、平然とそれを受け入れている夜の蝶。

その自然なやりとりの不自然さたるや!!

 

 

私の順番が回ってきて、手に持っていたジュースを出しました。

思わず、ファ◯チキを注文しました。

手渡されたそれの、あるべき姿にホッとしました。

 

帰りの車中、キリトリ線を破り、チキンを頬張りました。

先ほどの出来事を思い返します。

頭の中で何度想像してみても、収入印紙はやっぱり飛び散り、

ひらひらと蝶のように夜を舞うのでした。

 

 

 

人の魅力とは何か 〜人生を豊かにする与える力〜

 

 

大学生の頃、ある本との出会いがあった。その当時夢中になって読んでいた自己啓発本の一つだったのだけど、その本の言葉が今の自分に繋がっている。

 

当時、夢も、やりたいことも特になく、なんとなく進学した僕にとって大学生活を充実させることは難しかった。サークルや部活動、将来のため資格の勉強に励む同級生は、自分とは違いキラキラ見えて、馴染めなかった。部活もサークルも入らず、小遣い稼ぎ程度にアルバイトをする日々を過ごしていた。

 

大学には馴染めずにいたが、アルバイトは楽しかった。それはバイト仲間とウマが合ったとかではなく、ただ接客が好きな自分を知ったからだった。

 

僕は、チェーン店の居酒屋でホールスタッフとして働いていた。アルバイトはそこが初めてだった。接客するのは緊張したが、昔から愛想は良い方だったので慣れるのは早かったと思う。

 

そのお店ですごく感心したことがあった。

それは、スタッフ同士が仕事中にすれ違う度に「ありがとうございます」と言い合うことだ。勤務中だから料理を運ぶことやオーダーを伺うことは当たり前だし、特に気の利いたこともしていない。それなのに、すれ違うとありがとうと言ってもらえる。

不思議だった。勤務中に仕事をするという、ただ当たり前の事に感謝される意味がわからなかったからだ。

それは、お店のルールで言っているのかと聞けばそうではなくて、スタッフが自発的に行なっていることだった。

僕もつられてありがとうございますと返すのだけど、何だか照れ臭い。

ただ、言っている内に、少し気分が明るくなったような気がした。そして、お店全体の空気も明るくなったことに気がついた。

 

何に感謝をしているのだろう。それに明確な理由はないのかもしれない。

純粋に、料理を運んでくれてありがとうという気持ちなのだろうか。

そこに仕事だからやるのが当たり前という概念はなく、純粋な行動への感謝の気持ちがあるだけなのだと思う。

その言葉のやりとりは心地良かった。

 

数ヶ月経って、すっかりその言葉に魅了されていた。

ある本には「ありがとうと理由がなくても言葉にしてみると、脳が勝手にありがとうの理由を探し、小さな幸せでも感謝できる」みたいなことが書いてあって、それはそれで納得するのだけど、僕にとっては、そんな文字よりも実体験で知ってしまった感覚の方がしっくりくる。

 

それは、もう一つの素敵な体験に起因する。

 居酒屋のアルバイトで、店先に立ってお客の呼び込みをすることになった。スタッフ内で人気のない仕事だったから、僕も例外なく気乗りはしなかったのだけど、どうせならしっかりやろうと決意し、呼び込みを始めた。

わかっていた事ではあるが、やはり断られることが多い。わかっていても心が折れそうになる。でも勇気を出して、ありがとうございますと言ってみた。

普通は断られてありがとうとは言わない。でも、言ってみた。それはこんな具合に。

 

「こんばんは!もう一軒いかかがでしょうか!?」

「ごめんなさい。次が決まっていて。」

「そうですか!ありごうございます!またいらしてくださいね!」(ニコリ)

 

すると徐々に、お客から相手にしてもらえるようになってきた。

「頑張ってるね!」「次は行くからね!」という言葉も頂けるようになった。

ありがとうの効力なのかはわからないけど、この言葉のお陰で自分自身が前向きになれて、誠意が伝わる接客が出来ていたのではないかと思う。

誠意は人に届くのだと、この時実感する事ができた。

 

これらの体験から、接客がどんどん楽しくなって、逆にお客からありがとうと言っていただくことが多くなった。

人のために何かをすることは嬉しいし楽しい。

この時、新しい自分の価値観が出来たのだと思う。

 

大学生活で一つだけやりたいことがあった。

それは、自転車でのひとり旅だ。

夏休みを利用して計画を立てた。三重県から屋久島への自転車旅行だった。

昔から好奇心は旺盛で、知らないことを見てみたいという思いは強かった。

当時の自分にとって、自分の力だけで進む自転車で、知らない場所に行くというのが青春っぽくて良かった。

自由気ままなひとり旅。計画もそこそこに、ペダルを漕ぎ出した。

 

三重県から京都、京都から大阪、大阪からフェリーに乗って鹿児島へ、桜島を通り、またフェリー。ようやく屋久島へと到着した。

 

僕がこの旅で印象に残っていることは何だっただろう。

 

大阪からのフェリーが台風で欠航になり翌日の便に変更になったのだけど、ずれ込んだお客でいっぱいになり、隣のおじさんの吐息が耳にかかるくらいの距離感で雑魚寝するはめになったこと。

通天閣に登ったところ、おじさんに声をかけられて何故かツーショットを撮ったこと。その後、お礼に1000円もらったこと。

桜島で、火山灰に降られて灰だらけになったこと。(火山灰が降ってくるなんて夢にも思っていなかった。)

屋久島の混浴野天風呂に入ったこと。(先客でおばあさまが入っていらした。)

屋久島の道路に寝そべるボスザルにバレないようにそろりと通行したこと。

ボスザルに襲われたこと。

屋久島の美しい自然を感じたこと。

 

本当にいろんな体験をしたのだけど、一番印象的だったのが、道を尋ねたおばさまにご飯をご馳走になったことだ。

 

鹿児島に着き、道に迷ったのでコンビニに寄り、コピーを取っていたおばさまに道を尋ねた。快く道を教えてくれて、少し会話が弾んだ。大荷物を背負って、真っ黒に日焼けをしているママチャリの青年。その風貌を見ると少しは興味が湧くのだろうか。一通り旅行の話をすると、これも何かのご縁と、食事に誘ってくれたのだった。屋久島から戻ったら、鹿児島市内の美味しい居酒屋で、と約束を交わした。

 

初めてあった人にご飯をご馳走になることは、前にも経験があった。

京都へ友人と自転車旅行をした時のこと。これが初めての自転車旅行だった。

山を超えて京都市内へ入る道がわからず、雨の中途方に暮れていたところ、蕎麦屋さんが目に入った。道を尋ねるため中に入ると、ランチ営業の片付けをしている大将がいた。道を尋ねると快く教えてくれて、しかも蕎麦をご馳走してくれた。

僕にとって、人生で一番美味しい蕎麦だったし、今もそれは変わらない。

 

おばさまは友人を連れて来られて3人での食事となり、鹿児島の美味しい焼酎に角煮やさつま揚げなどの郷土料理をご馳走になった。連絡先を交換したのだけど、ケータイのデータがすべて飛んでしまい、連絡が出来なくなったことが心残りだ。(東井上さんがこのブログを見るという奇跡に思いを込めて)

 

一番の旅の思い出は、人との出会いだった。

見ず知らずの人間にどうして優しくできるのだろう。その行動には損得感情などない。おそらく僕が出会った優しい人たちにとって、困っている人を助けることや、懸命な人を応援するということが普通だからだ。

 

ある人は、どうして人に優しくするのか、という問いに、自分が優しくされたからだと言った。そして優しくされたなら、今度は自分が人に優しくしなさいとも言った。

この優しさの連鎖に僕もなりたいと思った。

 

僕はある本を読んだ。そこには、魅力的な人になることが豊かさの秘訣だと書いてあった。

魅力的な人とは何だろう。頭に浮かんだのは、人に与えられる人だった。

僕は今までの経験から、与えられる人に魅了されてきた。与えられることで、僕の心が豊かになったと実感している。その人たちは本当に魅力的だったし、僕もそうなりたいと思った。

そして、その本の言葉に背中を押された。

 

充実していなかった大学生活で、自分の目標のようなものが出来た。

それは、魅力的な人間になることだ。

馬鹿みたいな目標かもしれないけど、真剣だった。感動したことを自分なりにアウトプットしたいと思った。

笑顔でいることや、人に優しくすること、困っている人を助けること。これらは僕が与えられたことだったし、自分がしてもらって嬉しかったことを自分なりに実践してみたかった。

失敗もしたし、奇妙がられて落ち込むこともあった。それでも、ありがとうの言葉が嬉しくて、このチャレンジが楽しかった。気がつくとぼんやりしていた日々から充実した日々へと変化していた。

 

そんな日々を送り大学生から社会人となった。

 

僕はアルバイトをきっかけに飲食の道へと進んだ。

迷いはあった。同級生は、大手企業へ就職が決まっていた。偏見かもしれないけれど、大卒で飲食業に就くというと後ろ指を指されている気もした。

でも、僕は飲食で働くことをを決断した。

 

充実していなかった大学生活で、人に与える嬉しさを教えてくれたのは飲食店だった。

それと、ぼんやりとだが自分のお店を持ちたいと夢見ていた自分もいた。今までに体験した感動を表現できる場所だと想像できたからだ。

 

今はまだ夢の途中だ。何店舗か飲食店で働き経験を積んでいる。

まだまだ魅力的な人間にはなれていない。

多分この先も一生追い続けるゴールの無い目標だ。

 

良いお店とは何か。たまに考えることがある。

それは、人が魅力的なことだと思う。

料理が美味しい、見た目が綺麗、それらのことはもちろんだけど、人が魅力的でなければそれらの価値も半減してしまう。

スタッフ一人ひとりがお客に何かを与えられているか。そこに思いがあるか。それが誠意となり、感動を生むのだと思う。

 

僕の人生の中で、強く印象に残っていることは人と人とのやりとりだった。

魅力的な人間が人生を豊かにする。この信念は今も変わらない。

 

牛丼は体に悪いのか?を考えさせられた感動の実話

あの頃の僕らには、それはご馳走だった。

 

当時小学生だった僕は、父と兄と度々外食をした。

「今日は何食いにいこうか?」「うーん、吉牛!!」僕らは答えた。席に着くと、店員がお茶を持ってきた。「牛丼、特盛、ツユダクで!」
すかさず注文をする。
なんと甘美な響きだろう。おもわず声に出したくなる、贅沢な響きだ。
父は既にお新香を冷蔵庫から取り出し醤油を垂らしている。
まだ小学生の僕らはお新香へ手を出さない。それは、冷蔵庫から勝手に取り出すという行為の背徳感が随分と届きそうにない大人の領域の様に感じられたからだろうか。
牛丼は5分と待たずに運ばれて来た。
だが、その5分が永遠かのように長く感じらる。それは牛丼に魅了された者にしかわからない、時の流れというものだろうか。


「ぁあ、疲れたぁ!!」深夜の牛丼屋で、水を飲みながら言葉が漏れた。
小学生だった僕も気がつけば20代半ばを過ぎていた。
仕事終わりに牛丼を食べるという選択は、飲食店で働く私にとって妥協でしかない。
眠たい目をこすりながら、空いた胃袋を満たす。
まわりを見渡せば、不機嫌な男、すっぴんの女、ぼろぼろのサラリーマン、イヤホンをつけながら貪る若者、どいつもこいつも腑抜けた大人たちである。深夜の牛丼屋は冴えない大人で蔓延していた。
だが自分もその一部であることは間違いない。

 

アルバイトのHさんと、仕事終わりに牛丼を食べに行ったことがある。
Hさんは、この牛丼屋をいたく気に入ったらしい。牛丼を不自然に彩る薄紅色は、大量に盛り付けられた紅ショウガである。肉と紅ショウガ1対1の比率は、彼独自のスタイルに他ならないが、それで牛丼の味がわかるのかは不明である。

それから何日か経って、Hさんと働いている時のことだった。

「牛丼食いたいっすね」

「それなら次の土曜日は早く上がれそうなんで、行きましょうか。」

何気なく取り付けた約束だった。

そして、来たる土曜日のことである。

「おはようございます。」

出勤してきたHさんと挨拶を交わす。
その時、Hさんが眼を輝かせながらこちらを見ているのに気がついた。

「今日はやけにキラキラしてますけど、何かありましたか?」

「わすれたんですか?仕事終わったら牛丼っすよ!」

そうだった。
そう言えば、そんな約束をしていた。

「あぁ!そうでした!牛丼を楽しみに頑張りましょう!」

とりあえず、テンションを合わせて相槌を打ったのだけど、よく考えるとこのやりとりはなんだか滑稽だなと、思った。

大人になった私たちにとって牛丼とは、単なるジャンクフードでしかない。安くて早くて身体に悪いの三拍子であり、夜な夜な牛丼を食べる自分を俯瞰的に見てしまえば劣等感に苛まれる。
私たちは、そんな牛丼をモチベーションにし、今日の仕事を頑張ろうと互いに誓い合ったのだ。
思わずその可笑しさに吹き出してしまったのだが、それと同時に子供の頃の記憶を思い出していた。

 

あの頃の私たちにとって、確かに牛丼はご馳走だった。
だが、今はどうか。
牛丼に劣等感を持つ私がいる。
そして、眼を輝かすHさんがいる。
どちらが魅力的だろうか。ちなみに彼は36歳である。

私の中で何かが溶けた。
いつの間にか世間体に惑わされ、牛丼に対する劣等感を持っていた。

だがそれは美味いとは何ら関係ない。美味いものはご馳走だ。それでいいではないか。

 

私たちのテーブルに牛丼が運ばれて来た。
あの頃特別だったツユダクは、今は苦手だ。豚汁を追加して七味を少々。紅ショウガを丼の端に添える。
Hさんは今日もアホみたいな量の紅ショウガを盛り付ける。アホだ。完全に。
でも、それでいい。

誰にとっても自分にとっての美味しいは、ご馳走なのだから。

 


あとがき


健康ブームな近年、食べ物の品質や安全性が注目されていますよね。

ジャンクフードと呼ばれる食べ物は敬遠され、悪者の様に扱われている気がします。筆者もそうでした。

ただ、本当にジャンクフードは悪なのでしょうか。

単純にカロリーや栄養バランス、添加物の有無だけを見れば、健康な食べ物とは言えないのかもしれません。でも、食事の価値にはもっと違った要素があるのではないでしょうか。

安くて早い提供は、時間のないサラリーマンにっとては有難いし、子供の空いたお腹を安く満たせることは、家計を助けるでしょう。

筆者は仕事柄、ジャンクフードに対して偏見を持っていました。でも、この実体験から食のあり方を考え直すきっかけとなりました。

食を楽しむこと。それだけで、付き合い方が変わったなぁ、と感じたので今回はこんなブログでした!

以上!

好感度抜群!!男がカッコよくみえる料理講座

 

男が料理をする時代が来た。

 

今の時期新生活のサラリーマン、田舎から上京した学生さん、さあ、はじめての一人暮らしが始まった!!という方が多いと思います。新生活での不安は色々あるけれど、その大きなウエイトを占めるのは料理なのではないでしょうか。

料理のいろはも、右も左もわからないそんなあなた!!

この機会をチャンスとし、料理のできる男になりましょう。漫画やドラマの主人公は、仕事もできて料理もできるものです。ほら何気ないシーンでチラ見せする料理の腕前に憧れたことがあるはずですよね?

 

というわけで今回は、完全素人でも直ぐに実践できる料理術を伝授いたしましょう。

 

大事なのは清潔さ

まずはちゃんと手を洗いましょう

これはいきなりすごく大事なポイント!!!!!

筆者も男なので気持ちはわかりますが、

ぶっちゃけ家に帰ってから、手洗いとかってあんまりしないですよねぇ(え?)

でも、女性が男性に求める大きな要素は清潔感なんですよ。

せっかく身だしなみやお肌の手入れも抜かりない方でも、

料理する前に手を洗わない!?なんて、大マイナスポイントですよ!!

料理の基本は清潔さです!

人の口に入れるものですからね!清潔に気をつけて良くないことなんてありませんので!!

 

さて、石鹸でしっかり手首まで洗いましたか???

OKです!

 

それでは次!!

 

体の姿勢を意識して

姿勢!!!??

 

姿勢ですか!?っと以外に思われるかと思いますが、

男らしい背中は女性にも人気がありますよね。

リビングでくつろいでいる女性からは、キッチンに向かう男性の背中を眺める形になるかと思います。

その背中が、、極端に猫背だったり、縮こまっていたら?

明らかに自信がなさそうに見えますし、大丈夫かなぁ??と心配に思われてしまうもの。

オープンキッチンのレストランなんかでシェフがカッコよく調理していますが、

あれはテキパキスムーズに調理していることはもちろんなのですが、

スーっと伸びた背筋で堂々と調理しているということも大きな理由のひとつなんです。

 

すっと、背筋を伸ばしましょう!!

そうすれば自信がなくても、堂々と見えるものです。

頼りになる背中ってやつを見せつけましょう!

 

 

それでは次!

 

料理に愛情を込める本当の意味とは

 

料理は愛や!!!(え??)

 

料理初心者にとって、美味しいものをつくることや、見た目の良い料理を作ることを目標にしがちですが、そのレベルはとにかく慣れが必要です。

だから、背伸びをせず出来ることを一生懸命することが、心に響く料理をつくるポイントかと思います。

そして、心に響く料理とは、愛情が伝わるかどうか!です!!

 

ではどうすれば良いのか。

それは、何気ない気遣いの言葉です。

気遣いとは例えば、

苦手な食べ物ない?であったり、辛いのは平気?や、

味の濃さはどれくらいが好み?と、相手に合わせて調理をしたいという意思表示の言葉です。

 

料理の本質って、人に食べてもらうことだなぁと思っていて、

その人に、喜んでもらうことが何より嬉しいんですよね。この感覚を味わうとやみつきになります。(筆者は中毒になっている笑)

ですから、自分が美味しいと思う味付けよりも、食べてもらう人の好みを考えて、それに向けて自分なりに努力することで、相手にその誠意が伝わるのだと思います。

味とは、美味しいの一部分なのかもしれません。

人にとって美味しいと思うことは、単純に味だけでなく、誰がどのような気持ちで作ってくれたのか。その様に、いろんな要素がその人だけの美味しいになるのだと思います。

不器用でもいいです。この人が喜んでくれることは何だろう?ということを本気で考えて実行する。これです!

 

まとめ

というわけで、

完全料理初心者男子のために、カッコよくみえるということに重点を置いてお話してきました。

料理の腕前は技術とセンスを磨くことが必要となるので、正直一朝一夕では難しいです。

でも、料理の基本は相手を思いやる気持ちです。

相手を思いやる清潔さ、

相手を安心させる姿勢、

相手を感動させる気遣い。

これらの思いやりが、その人だけの美味しいに繋がるのです。

 

腕前は後から付いてきますので、まずやるべきは、思いやり!

これは意識次第ですぐに実行可能です!

ぜひ参考にしてみてください!