にちにち日記

好きな植物はニチニチソウ。日々是好日ということで。

人の魅力とは何か 〜人生を豊かにする与える力〜

 

 

大学生の頃、ある本との出会いがあった。その当時夢中になって読んでいた自己啓発本の一つだったのだけど、その本の言葉が今の自分に繋がっている。

 

当時、夢も、やりたいことも特になく、なんとなく進学した僕にとって大学生活を充実させることは難しかった。サークルや部活動、将来のため資格の勉強に励む同級生は、自分とは違いキラキラ見えて、馴染めなかった。部活もサークルも入らず、小遣い稼ぎ程度にアルバイトをする日々を過ごしていた。

 

大学には馴染めずにいたが、アルバイトは楽しかった。それはバイト仲間とウマが合ったとかではなく、ただ接客が好きな自分を知ったからだった。

 

僕は、チェーン店の居酒屋でホールスタッフとして働いていた。アルバイトはそこが初めてだった。接客するのは緊張したが、昔から愛想は良い方だったので慣れるのは早かったと思う。

 

そのお店ですごく感心したことがあった。

それは、スタッフ同士が仕事中にすれ違う度に「ありがとうございます」と言い合うことだ。勤務中だから料理を運ぶことやオーダーを伺うことは当たり前だし、特に気の利いたこともしていない。それなのに、すれ違うとありがとうと言ってもらえる。

不思議だった。勤務中に仕事をするという、ただ当たり前の事に感謝される意味がわからなかったからだ。

それは、お店のルールで言っているのかと聞けばそうではなくて、スタッフが自発的に行なっていることだった。

僕もつられてありがとうございますと返すのだけど、何だか照れ臭い。

ただ、言っている内に、少し気分が明るくなったような気がした。そして、お店全体の空気も明るくなったことに気がついた。

 

何に感謝をしているのだろう。それに明確な理由はないのかもしれない。

純粋に、料理を運んでくれてありがとうという気持ちなのだろうか。

そこに仕事だからやるのが当たり前という概念はなく、純粋な行動への感謝の気持ちがあるだけなのだと思う。

その言葉のやりとりは心地良かった。

 

数ヶ月経って、すっかりその言葉に魅了されていた。

ある本には「ありがとうと理由がなくても言葉にしてみると、脳が勝手にありがとうの理由を探し、小さな幸せでも感謝できる」みたいなことが書いてあって、それはそれで納得するのだけど、僕にとっては、そんな文字よりも実体験で知ってしまった感覚の方がしっくりくる。

 

それは、もう一つの素敵な体験に起因する。

 居酒屋のアルバイトで、店先に立ってお客の呼び込みをすることになった。スタッフ内で人気のない仕事だったから、僕も例外なく気乗りはしなかったのだけど、どうせならしっかりやろうと決意し、呼び込みを始めた。

わかっていた事ではあるが、やはり断られることが多い。わかっていても心が折れそうになる。でも勇気を出して、ありがとうございますと言ってみた。

普通は断られてありがとうとは言わない。でも、言ってみた。それはこんな具合に。

 

「こんばんは!もう一軒いかかがでしょうか!?」

「ごめんなさい。次が決まっていて。」

「そうですか!ありごうございます!またいらしてくださいね!」(ニコリ)

 

すると徐々に、お客から相手にしてもらえるようになってきた。

「頑張ってるね!」「次は行くからね!」という言葉も頂けるようになった。

ありがとうの効力なのかはわからないけど、この言葉のお陰で自分自身が前向きになれて、誠意が伝わる接客が出来ていたのではないかと思う。

誠意は人に届くのだと、この時実感する事ができた。

 

これらの体験から、接客がどんどん楽しくなって、逆にお客からありがとうと言っていただくことが多くなった。

人のために何かをすることは嬉しいし楽しい。

この時、新しい自分の価値観が出来たのだと思う。

 

大学生活で一つだけやりたいことがあった。

それは、自転車でのひとり旅だ。

夏休みを利用して計画を立てた。三重県から屋久島への自転車旅行だった。

昔から好奇心は旺盛で、知らないことを見てみたいという思いは強かった。

当時の自分にとって、自分の力だけで進む自転車で、知らない場所に行くというのが青春っぽくて良かった。

自由気ままなひとり旅。計画もそこそこに、ペダルを漕ぎ出した。

 

三重県から京都、京都から大阪、大阪からフェリーに乗って鹿児島へ、桜島を通り、またフェリー。ようやく屋久島へと到着した。

 

僕がこの旅で印象に残っていることは何だっただろう。

 

大阪からのフェリーが台風で欠航になり翌日の便に変更になったのだけど、ずれ込んだお客でいっぱいになり、隣のおじさんの吐息が耳にかかるくらいの距離感で雑魚寝するはめになったこと。

通天閣に登ったところ、おじさんに声をかけられて何故かツーショットを撮ったこと。その後、お礼に1000円もらったこと。

桜島で、火山灰に降られて灰だらけになったこと。(火山灰が降ってくるなんて夢にも思っていなかった。)

屋久島の混浴野天風呂に入ったこと。(先客でおばあさまが入っていらした。)

屋久島の道路に寝そべるボスザルにバレないようにそろりと通行したこと。

ボスザルに襲われたこと。

屋久島の美しい自然を感じたこと。

 

本当にいろんな体験をしたのだけど、一番印象的だったのが、道を尋ねたおばさまにご飯をご馳走になったことだ。

 

鹿児島に着き、道に迷ったのでコンビニに寄り、コピーを取っていたおばさまに道を尋ねた。快く道を教えてくれて、少し会話が弾んだ。大荷物を背負って、真っ黒に日焼けをしているママチャリの青年。その風貌を見ると少しは興味が湧くのだろうか。一通り旅行の話をすると、これも何かのご縁と、食事に誘ってくれたのだった。屋久島から戻ったら、鹿児島市内の美味しい居酒屋で、と約束を交わした。

 

初めてあった人にご飯をご馳走になることは、前にも経験があった。

京都へ友人と自転車旅行をした時のこと。これが初めての自転車旅行だった。

山を超えて京都市内へ入る道がわからず、雨の中途方に暮れていたところ、蕎麦屋さんが目に入った。道を尋ねるため中に入ると、ランチ営業の片付けをしている大将がいた。道を尋ねると快く教えてくれて、しかも蕎麦をご馳走してくれた。

僕にとって、人生で一番美味しい蕎麦だったし、今もそれは変わらない。

 

おばさまは友人を連れて来られて3人での食事となり、鹿児島の美味しい焼酎に角煮やさつま揚げなどの郷土料理をご馳走になった。連絡先を交換したのだけど、ケータイのデータがすべて飛んでしまい、連絡が出来なくなったことが心残りだ。(東井上さんがこのブログを見るという奇跡に思いを込めて)

 

一番の旅の思い出は、人との出会いだった。

見ず知らずの人間にどうして優しくできるのだろう。その行動には損得感情などない。おそらく僕が出会った優しい人たちにとって、困っている人を助けることや、懸命な人を応援するということが普通だからだ。

 

ある人は、どうして人に優しくするのか、という問いに、自分が優しくされたからだと言った。そして優しくされたなら、今度は自分が人に優しくしなさいとも言った。

この優しさの連鎖に僕もなりたいと思った。

 

僕はある本を読んだ。そこには、魅力的な人になることが豊かさの秘訣だと書いてあった。

魅力的な人とは何だろう。頭に浮かんだのは、人に与えられる人だった。

僕は今までの経験から、与えられる人に魅了されてきた。与えられることで、僕の心が豊かになったと実感している。その人たちは本当に魅力的だったし、僕もそうなりたいと思った。

そして、その本の言葉に背中を押された。

 

充実していなかった大学生活で、自分の目標のようなものが出来た。

それは、魅力的な人間になることだ。

馬鹿みたいな目標かもしれないけど、真剣だった。感動したことを自分なりにアウトプットしたいと思った。

笑顔でいることや、人に優しくすること、困っている人を助けること。これらは僕が与えられたことだったし、自分がしてもらって嬉しかったことを自分なりに実践してみたかった。

失敗もしたし、奇妙がられて落ち込むこともあった。それでも、ありがとうの言葉が嬉しくて、このチャレンジが楽しかった。気がつくとぼんやりしていた日々から充実した日々へと変化していた。

 

そんな日々を送り大学生から社会人となった。

 

僕はアルバイトをきっかけに飲食の道へと進んだ。

迷いはあった。同級生は、大手企業へ就職が決まっていた。偏見かもしれないけれど、大卒で飲食業に就くというと後ろ指を指されている気もした。

でも、僕は飲食で働くことをを決断した。

 

充実していなかった大学生活で、人に与える嬉しさを教えてくれたのは飲食店だった。

それと、ぼんやりとだが自分のお店を持ちたいと夢見ていた自分もいた。今までに体験した感動を表現できる場所だと想像できたからだ。

 

今はまだ夢の途中だ。何店舗か飲食店で働き経験を積んでいる。

まだまだ魅力的な人間にはなれていない。

多分この先も一生追い続けるゴールの無い目標だ。

 

良いお店とは何か。たまに考えることがある。

それは、人が魅力的なことだと思う。

料理が美味しい、見た目が綺麗、それらのことはもちろんだけど、人が魅力的でなければそれらの価値も半減してしまう。

スタッフ一人ひとりがお客に何かを与えられているか。そこに思いがあるか。それが誠意となり、感動を生むのだと思う。

 

僕の人生の中で、強く印象に残っていることは人と人とのやりとりだった。

魅力的な人間が人生を豊かにする。この信念は今も変わらない。